今はもうない実家。大好きだった母。

もうすぐわたしの両親の13回忌。この間、お寺に法事の予約をしました。
両親が亡くなってからもうすぐ12年。しみじみと思い出してしまう今日この頃です。
あんまり真面目なことを書いてきませんでしたが、今日はわたしの実家について少し書こうと思います。

わたしには、両親と3つ年上の兄がいましたが、両親は12年前に立て続けに亡くなり、兄は3年前に急逝しました
だから、わたしにはもう実家というものがありません
兄を見送ったとき、そして実家を引き払ったときに感じた「ひとりぼっち」の気持ち。当時ダメージがとても大きかったけど、ダンナと築いた今の家族のお陰で乗り越えられたのだと思います。

そしてこれは大好きだったわたしの母

おにぎりを握るわたしの母

母は千葉県の田舎の出身。
ヘアスタイルは、晩年病気療養するまでは安定の「大仏パーマ」。
「大仏パーマ」をずっと貫いていたっけ。
性格は人懐っこくて、愛情にあふれていて、天然で面白かった。
孫のことも大、大、大好きで、とっても可愛がってくれました。こどもたちも、「おばあちゃん」の想い出がたくさんあると思います。
この絵は、おにぎりを握る母の姿です。おやつによく握ってくれたおにぎりは、三角ではなくて巨大な丸いおにぎりで、全面にのりが巻いてあって上品ではないけどおいしかったなあ。あと、「みそおにぎり」や「焼きおにぎり」も美味しかったなあ。
人懐っこくて天然だったから、いろんなエピソードがあるけど

知らない清掃のおじさんにあんぱんをあげる母

こんな風に、道の清掃をしている見知らぬおじさんに買い物で買ってきたあんぱんをあげちゃうような人でした。

母は亡くなる5年前に癌になりました。上顎癌というあまり聞きなれない癌です。
病名を聞いた時には、「出来ることなら今すぐここから飛び降りたい」と言っていましたが、「じいさん(父)を置いて先に逝くわけにはいかない。みんなに迷惑をかけるから」と、癌と闘うことを決意した母。
抗がん剤治療のあとに13時間にわたる大手術を受け、本当に大変な闘病生活を送りました。
あの闘病を乗り越えた母は、本当に強い人だったと思います。
その後退院し、数年は家で生活することができました。

亡くなる数か月前、夜に病院から呼び出され、「今夜が峠になると思います」と言われ病院に泊まり込んだことがありました。ただただ、母のそばで祈ったその一夜は、忘れられません。
ダンナとこどもたちは病室の中に入れてもらえなかったので、車の中で一夜過ごしました。
そして、奇跡的に夜を超えて母が目を覚ましました。
わたしは涙を流しながら母に声を掛けたのですが、その時の母の第一声がこれでした。

峠を越した後、ラーメンと桃が食べたいとつぶやく母

天然にも程がある。
このころはもう、ほとんど母との意思の疎通はできなくなっていたのですが、この一言がなんとも母らしくて忘れられません。

家庭環境は良いとは言えなかった。
そして、辛いことが多かったんだと思う。だから母はお酒の問題を抱えていました。
(わたしが絶縁を突きつけたことがあり、頑張って克服してくれましたが・・・)

トラブルの多かった家庭でしたが、愛情にあふれ、明るく温かい天然な母のお陰で、今のわたしはこうしていられるのだなと思います。
そして、家族から『天然』と言われるわたし。どうやら、母から受け継いでしまったようです

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