今日は12年前に亡くなった父のことを少し書きたいと思います。
父はC型肝炎を患っており、母が亡くなって2か月後に亡くなりました。
「雪で滑って骨折して入院した」と兄から連絡があり、週末にお見舞いに行こうと思っていたところ、週末を待たずに亡くなってしまいました。
骨折で入院と聞いていたので、全く予期せず。
そのころ、母の葬儀の香典返しの手配の件でケンカをしたままでした。
それがそのまま、お別れとなってしまいました。
実家に帰ると、このような姿でよく玄関で出迎えてくれていました。
仕事を定年退職してからの父は、こんな格好でテレビの前で新聞を読んだり、入れ歯が合っていなかったからだと思うけど、ぽかーんと口を開けたままテレビを見ていたっけ。
小さい頃のわたしは父のことが大好きだったようで、独特の言い方で「ただーいま」と帰ってくる父を待ち構えていたことをうっすらと想い出します。
微笑ましいと思うかもしれませんが、それでは終われません・・・
実は、「ろくでなし」と言いたくなるような人物でした。
わたしの実家の家庭環境が悪くなったきっかけは、わたしが幼い頃に両親が新興宗教に入り、多額の借金を抱えたことです。そして、その借金を全て母のせいにしてなじり続けた父の姿は忘れられません。子どもの頃から、父のひどい言葉をたくさん聞いてきました。私が中学校に入るころには、宗教から脱会しましたが、その後もことあるごとに母を責め続けました。
追い込まれた母はお酒の問題を抱え続け、時々ひどく泥酔し、それを父と兄が責めてケンカになり、わたしはそれを幼いころからずっと必死になって止める立場でした。
幼い頃にはわからなかったことも分かるようになった年頃のわたしは、父を大嫌いになりました。
兄を嫌い、わたしには愛情を注ぐ。その歪んだ性格も嫌いだった。
だから、あまり話もしなくなっていきました。
結婚式の日も、改めて感謝の言葉を伝えることはありませんでした。
父が亡くなったあと、手続きのために取り寄せた父の戸籍を見たときに、父の歴史を垣間見たような気がしました。
父方の親戚付き合いはほとんどなかったので、正直、父が何人兄弟なのかも知らなかった。幼くして亡くなった兄弟がいたことも戸籍を見て知りました。
嫌いなところもいっぱいあったけど、父の存在を軽んじていたと亡くなってから気がつきました。
戦争の時代に生まれた父。どんな人生を歩んできたのかな。もっと聞いておけばよかった。
今だったらもっと心を開くことができたのかもしれないなと思います。
もっと、知ろうとするべきだった。『後悔先に立たず』です。
なぜかよく思い出すのは、最後に父とふたりでラーメンを食べたことです。
確か母が亡くなる1、2か月前でした。主治医から母の病状の説明を聞いて、母を見舞った帰り道。
「ラーメン食べて帰るか」と父がラーメンをごちそうしてくれました。
父とふたりでラーメンを食べるなんてなかったから、知らず知らずわたしの中で父との大切な想い出になっていたみたいです。
ありがとう。
そして、天国で母、兄と仲良く幸せでいてほしい。今はもう、それだけを思い続けています。